きよい

雑居ビルの1階。焦茶色の扉。ふわりと漂う、珈琲の香り。

半紙に筆で書かれた、入店時の注意事項。

うなぎの寝床のような、奥行きのある店内。

ゆうに5メートルはある、一本木の分厚いカウンター。木目も、自然な輪郭も飾りげなく美しい。

綾のような模様が刻まれた柱。壁には直方体の空間が空いていて、そこには、それぞれ異なる色の額に入った4人の男性の写真が並び、その前には、小さめのカップに入ったコーヒーが供えられていた。

テーブルも壁の棚も、丁寧に手入れされているのを感じる。空間に、微塵の曇りもない。清められ、澄んでいる。そうだ、これは、神社に行ったときの感覚に似ている。背筋が伸びる。

目の前に置かれたグラスは、薄く無機質。中には、そこにあることが感じられないほどに透き通った大きめの氷と水。以前、天然の氷だと教わった。

わずかに緊張しつつ、しっかりめの珈琲をお願いする。いつも、豆の種類などではなく、その時のお客さんの好みで出してくださるそう。珈琲に疎いので、ありがたい。こんな風に聞いてくれるお店に出会ったことがなかったので、衝撃でもあった。

豆をはかる。ミルで挽く。銀色の壺のような器で、挽いた豆をふり混ぜる。ドリッパーに移す。お湯が、ぽとん、ぽとん、と1滴ずつ注がれてゆく。少しずつ、スピードが速くなる。一瞬たりとも目をそらさない。

見惚れているうち、手元に差し出された珈琲は、「ヤーフェ」。イエメンのモカだそう。かわいい響き。それと、口慣らしの薄めの珈琲。

水で口の中をリセットして、薄い珈琲で慣らして、濃いめの珈琲を味わう。まるで儀式のよう。飲んでみて、なるほど。深みがやさしく馴染んでゆく。鼻からも、口からも、雪崩れ込んでくる豊かさ。燻したような香りはどこか華やかで、苦いけれど、重さはない。あるのは、余韻。

グラスと2つのカップを行ったり来たり。何度も新鮮に感動する。

常連であろうお客さんたちと、静かにそこに自分がある。

以前、本で引用されていた、濱田庄司が釉薬をかける時間は、一瞬のように見えて、キャリアである60年がそこにある、というようなことを述べていたことを思い出した。積み上げてきたからこそ現せるものが、たしかにある。

途中、「濃かったら、ミルクと砂糖ありますよ」と声をかけてもらう。

お断りしてしまったけれど、次は、お願いしてみよう。


ちくちく

お手元にある、捨てられない、手放せない、 思い出深いお洋服や布小物を、 あなたの想いをお聞きして、布ものの個性を生かして、 お直しをしています。 布もの通訳。

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