涙腺と自然
仕事が終わり、帰るために自分が乗る電車が向こうからホームに入ってきた。丸い2つのライトの下に、赤い小さなライトが2つ。黄色のボディに、頬を紅潮させた子供のようにかわいらしい。その瞬間、「さぁ、帰ろう。」と言われている気がした。目が潤んだ。そういう体の反応に驚きつつ、なんだか嬉しかった。
最近は、涙腺が本当に緩い。
この変化はなんなのか。ひとつ、仮説を立ててみる。
感情を抑えず、心が素直な状態にあるのではないか。いのちが、硬い殻を脱ぎ、柔らかい部分をさらけ出して、剥き出しになりつつあるのではないか。
それはつまり、本心を覆い隠す必要がなくなり始めているのではないか。
自然体でいられている、ということではないか。外に対して、身構える必要がない。本来の自分に、脱皮しようとしている。
なぜこんな仮説を立てるのかというと、以前は、自分の本心を口にしようとするとき、涙が溢れて止まらなくなっていたからだ。(それは今もそうかもしれない。)まるで言葉を堰き止めるが如く、嗚咽するほど泣いた記憶は何度もある。
でも、今の涙は、その時の涙とは違う。琴線に触れることで、涙腺が刺激を受ける。世界が、良い方向に変わってきているようには思えない。目にうつる世界に対する解釈が、自分自身の中で、変わってきている。
もしそうだとしたら、すごいことだ。天変地異だ。アンビリーバボーだ。
もちろん、体調や気分ということもあるだろう。加齢の影響説の方が、有力かもしれない。
それでも図太く、自分に都合良く、この変化を結論づけておくことにする。
内なる自然に近づいている、ということ。
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