お直しとの出会い
お直しに心を奪われてから、もう10年が経つ。
ここには、最初に何を書くのがいいかな、とずっと考えていたので、久しぶりにふと思い出したその時のことを、記してみようと思う。
とあるアパレルの販売スタッフとして勤務していた時、お客さまが使い込まれたバッグを持ってこられた。(修理等に対応するため生地の端切れも保管しているブランドで、店舗で常時お直しも受け付けていたので、半期に1度新しいアイテムが発売されるファッションの世界で長く同じものを使い続ける方たちがいらっしゃること、そんな方たちと出会えることがうれしかった。)きっと持ってきてくださるほどだから、気に入っていて、大切なものなのだろう。持ち手と口が擦り切れて、たくさん使っていたであろうことが窺えた。
こんなふうに長く愛されるものがあるのか、という驚き。愛されるそのもの、それを生み出したデザイナー、その持ち主、どこを向いてもしあわせがあるような気がした。
そして後日、お直しから仕上がってきたバッグは、蘇った、というより、生まれ変わっていた。しかも、バージョンアップして。
口の擦り切れた箇所には、テキスタイルから立体になって飛び出してきたようにモチーフが編まれ、ちょこんと縫いとめられていた。弱った持ち手には、蜘蛛の巣状に無数のステッチが施され、完全にダメージが隠れてはいないけれど、丁寧に手が加えられているのが伝わってきた。バッグ自体の愛おしさは、格段に増していた。可愛くて、今まで見た事がないお直しで、とにかく跳び上がらんばかりの興奮だった。
それまでは、ものが劣化していくことは不可避、買い換えるのが唯一の手段で、修理や修繕も、みすぼらしく残念な印象でしかなかったけれど、その概念は、一気に覆された。
このお直しなら、持ち主が使ってきた痕跡や傷跡が、むしろ、喜びとなる。その人がそのお洋服と過ごした時間も包み込むから、よりいっそう、その人のものとなる。
この当時は、自分がお直しをするなんて、思ってもみなかった。けれど、この出来事は、今も、きっと、この先も、原点として真ん中にあり続けるのだと思う。その時のわくわくは、思い出すたび、心の中を駆け抜けてゆく。
そんな11月12日は、「ちくちく」に活動名を決めた日。
4歳、おめでとう。
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