直す、ということ
ときどき、傷んだお洋服を直している、ということを伝えると、
「新たな命が吹き込まれる」とか、「生まれ変わらせる」とか、言っていただくことがある。見てくださる方がそう感じてくださったなら、恐れ多くもありがたい。お直し屋冥利に尽きるし、身に余る光栄だ。
けれどなぜか、これらの言葉にずっと引っ掛かりを抱いていた。
きっと、「新たな命」や「生まれ変わる」という言葉の中に、「死んでしまったモノ」という前提を感じとっていたのだ。
わたしにとって、お直しを必要とするモノは、「死」と結びつかない。
あくまで、変化していく過程の姿で、なんなら発展途上なんじゃないか。
持ち主の方と一緒に、これからも歩んでいく、その道半ば。
人の、「まだ使いたい、身に付けたい」という想いが宿っている限り、モノの命はきっと終わらない。
先日のワークショップで、「直す」ことを、「育てる」と表してくれた方がいた。
ここまでやってきた想いに、名前を付けてもらったような気がした。
そして、お直しをすることは、自身と向き合い、認め、受け入れる、手助けになる行為なのでは、とも思い始めている。
穴やしみを、むしろチャームポイントになるようにつくろうのは、ネガティブをポジティブに捉え直す視点に似ている。
手を動かして、布にある傷と向き合いながら、心にも作用する、ゆるやかな行為。明るいほうに向かい始める兆しのような、ささやかさで。
お直しはたのしい。
さらにその先へも、掘り下げてみたい。
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